リレーエッセイのブログ始めました

このブログは、開設したばかりでタイトルもまだ仮です。

複数のライターが代わる代わるでエッセイを書いていきます。
各エッセイにコメントが付いたら、管理人から著者に連絡します。ブログに不慣れな人もいるので、返答はあまり期待しないでください。只今、ライターさんたちがどうしたいか意見調整中。お試し期間中のブログです。

(ブログ管理人より)
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第8回 「クワイ河マーチ」著者:川上智久 

 昨年末より、頭から離れない歌があった。
 映画「戦場にかける橋」のテーマ曲で、日本では「口笛をふいて」という名前がついている、一般的には「サル・ゴリラ・チンパンジー」で定着しているあの歌である。
 子供が歌っているのを聴いて、久しぶりに思い出した。
 ここ数日、この曲に合う歌詞は他にないものか色々考えてみたが、やはり「サル・ゴリラ・チンパンジー」が一番良い。
 一度聞けば忘れられないシンプルで強烈なフレーズ、歌詞ありきで作られたようなメロディーとの調和。
 やはり、この曲には「サル・ゴリラ・チンパンジー」以外の歌詞は考えられない。

 この曲、正式にはイギリス人のケネス・ジョゼフ・アルフォードが作曲した「ボギー大佐」と言う行進曲である。
 イギリスでは、ヒットラーを揶揄する下品な替え歌で歌われ、アメリカではクレンザーの毒性を歌った替え歌が有名なようだ。きちんとした行進曲なのに、なんだか気の毒だなと思いながら、曲名の由来を調べてみると、作曲者の友人にゴルフでボギー(パーより一打多く叩く)ばかり叩く人物がいて、彼のあだ名が「ボギー大佐」だったため、その人物をイメージしてこの曲を作ったことがわかった。
 「ボギー大佐」は、はじめから面白ソングだったのだ。

 昔ゴルフ場で、ブッシュ(茂み)に何度も打ち込んでいた人を、同じ組のおじさんが、
「ブッシュ大統領」と愛称をつけて呼んでいた。
 時代や国籍は違えど、おじさんの発想はだいたい同じようなものなのかもしれない。
 案外、「ブッシュ大統領」もタイトルにした曲を作ってみたら、他の国でまったく意図しない歌詞をつけられて、人々に末永く愛される歌になる可能性もあるのでは・・・。
なんてどうでも良いことを考えていた2023年の正月でした。

第7回 「拾いもの」著者:谷亜由子 

捨てられたもの、忘れ去られたもの、行き場をなくしたもの−−そんなものにふと目をとめて、こっそりと拾い上げるとき、少しワクワクする気分と同時に、心がざわついたり、どこか後ろめたいような気がしてしまうのはなぜだろう。

私がそんな気持ちになるのは、子供の頃、道端に捨てられていた猫を拾って連れて帰り、お母さんにひどく叱られたことを思い出すからかもしれない。大人になった今では、気になるものが目に入っても、格好をつけたり、後のわずらわしさを敬遠したりして、あの頃のように無邪気にものを拾うなんてできなくなってしまった。

誰かが一度手放したものや、価値をなくして居場所を失ったようなものをわざわざ拾うとき、少なからずためらいを感じてしまう。けれど人生には思いがけない拾いものと呼べるような素晴らしい出会いがたくさんあるし、九死に一生のように運良く命拾い、みたいな経験をすることもある。思いがけず手にした幸運。そんなありがたい拾い物には誰だって感謝するだろう。そう思えば「拾う」ことはまんざら悪いものでもない。

そういえば、あとさきを考えずひょいと拾ってしまったあの猫も、その後はすっかり家族の一員となり、結局、拾ってきた私を叱った母が、誰よりも一番可愛がっていたものだ。

「拾う」ことは偶然の出会いに似ている。余計な期待や計算がない分、出会った瞬間は軽い気持ちで受け入れてしまうし、重みやありがたみにもなかなか気づけなかったりするけれど、実はそこから、拾ったものと拾われたものとの間に目に見えない縁が結ばれて、真新しくて不思議な物語が始まっていく。出会わなければ生まれるはずのなかった未知の物語を、自らの意志で綴っていくこと、その責任と覚悟を担うことを、「拾う」と呼ぶのかもしれない。


著者:谷亜由子

第6回 「バンド、やってみた」著者:亀子美穂 

 以前、50歳のオバサンが若者のロックバンドに入って活躍するというシナリオを書いたことがあります。結構大きなシナリオコンクールに応募して、三次審査まで進んだのですが、その先には進めませんでした。結構気に入った作品だったので、他の方々にもご意見をいただいたり、自分なりに見直したりして、至らなかった点がいろいろ見つかったのですが、その中に「バンドのリアリティが薄い」というのがありました。――そりゃそうだ。私は生まれてこの方、バンドというものをやったことがない。バンドに加入するまでの葛藤などは50数年生きてきてある程度想像できるけれど、バンドに入ったらどうなるのか想像もつかず、ありきたりな事で話を濁していたのでした。そんな結論を出したまま、日々に追われ、数年が経ち、このシナリオ自体、忘却の彼方に消え去っていたのですが、ある日、新しいシナリオのアイデアを考えていたら、ふと、記憶がよみがえってきました。このネタでまた新しい作品ができないか? でも前作はバンドやったことないのに書こうとして中途半端になってしまったのでは? 前作の二の舞になるのは明らかです。

…だったら、バンド、やってみたらいいじゃない。

 元々、音楽は嫌いじゃない。バンドの話を書こうと思ったのも、ロックを聴くのが好きだったからだし。バンドやるのは楽しそうだと思ったこともある。死ぬまでにやりたい100の事のリストを作るとしたら68番目くらいにエントリーするかもしれない案件。でも年齢が…四捨五入したら60の私が始めていいものでしょうか? ――いやいや、日本放送作家協会中部支部には、70歳を過ぎてからダンスを始めた先生もいらっしゃる。年齢を言い訳にはできません。とにかく始めてみたらいい。だめだったらやめればいいんだし。
 というわけで、バンドをやる決意をした私。でも…

バンドって、どうやったらできるの?

 学生なら部活があります。でも、社会に出て40年近い大人は? バンドをやっている友人がいたらいいのかもしれませんが、あいにくそういう知人もいない。いきなり暗礁に乗り上げた私。でも、令和の今は、心強い文明の利器があります。

 …わからないことは、ネットで調べよう。

 調べたところ、ネットにはバンドメンバー募集のための掲示板のサイトがいくつかあることが分かりました。この他にも、地元の情報掲示板サイトでもバンドメンバーの募集をしています。どのサイトにもバンドが「ギターできる人募集」というように、足りないパートの人員を募集する掲示板と、バンドに入りたい人が「ギターでバンド加入希望」というように自分がやりたいパートを登録して、それを見たバンドからの勧誘を待つ掲示板があります。

 ところで私、何のパートをやりたいの? カラオケが好き。でも、それだけでは難しい…子供の頃、ピアノを習っていて、大人になってからも何か趣味がやりたくて習ったことがあるのを思い出し、ボーカルとピアノ・キーボード希望で登録。この他の情報として、年齢と好みの音楽のジャンル、住んでいる地域などを登録しました。

 私の登録を見たバンドからの連絡が数件、ありました。どのバンドも、キーボードの募集。私、一応キーボードって書いたけど本当は弾ける自信がない。ボーカルがいい…一件だけボーカルでお誘いがあったけど、「あなたのすばらしい声を求めていました! 僕はどんなジャンルの曲も書けます。二人で頂点を目指しましょう」とかいう大阪の男性で、明らかに怪しすぎる。やっぱり自分で入れそうなバンドを見つけるしかなさそう。

 そこで、バンドのメンバー募集掲示板で、自分が入れそうなバンドを探しました。そこにはバンドのやっている音楽のジャンル、活動地域、プロ志向か趣味のバンドか、初心者OKか、メンバーの大体の年齢層などが書かれています。私と同じ年代の人のバンドも結構多くて、少し安心。若いころにやっていて、仕事や家庭に追われて辞めてしまったけど、定年近くなって老後の楽しみを考えてまた音楽をやりたくなった男性が多い。そういう人たちは、お金に余裕もあるので、若いころにあこがれていた高いギターとか機材を買っているというのは後で知った話です。しかし、これだけの情報で自分に合ったバンドが見つかるのでしょうか? でも、動かなければ何も始まらない。

とにかく、応募してみよう。

 というわけで、募集しているバンドのうちの一つに応募。これから立ち上げるバンドで、女性ボーカル募集。みんなで一から成長していきたいというコメントに惹かれた。で、練習に行ってみたら、ドラムしかいない。マジか? 仕方なく、スタジオにあるキーボードで音を拾って、ドラムに合わせてほぼアカペラ。その後掲示板で声をかけたというベースが加入。こいつがとんでもない奴で、「ボーカルは華がないと」という理由で知り合いの若い女性を連れてきて、私は知らないうちにキーボード担当にさせられてしまいました。バンド内の雰囲気も悪くなり、連絡用のグループラインにはドラムとベースの罵詈雑言が飛び交うようになり、バンドはギター加入を待たず空中分解してしまいました。果てしない疲労感…バンドなんて懲り懲り。

でも、これじゃ、バンドやったことにならない。

 せめて全パートそろって演奏したい。できればライブもやってみたい…散々な目に合った私ですが、いや、だからこそ、意地になったところもあります。そうでなければ、今までやってきたことが無駄になってしまう。まずはバンドでライブをすることを目標に、考えを少し改めました。

 まず、ボーカルにこだわらないことにして、キーボード募集で声をかけてくれたバンドの一つに、「下手ですけど…」と言い訳しながら入れてもらいました。キーボード以外のパートはそろっていたので、全パート揃って演奏するという希望はすぐに叶いました。実はキーボードをする人はあまり多くないので、探すのが大変なのだとか。そのため、こんなへっぽこキーボードでも歓迎され、多少のミスも生暖かく見守ってもらえました。そして、何回かスタジオで練習した後、ライブをする目標もあっけなく達成してしまいました。

 私は目標を達成した後もバンドを続けています。色々あったけど、音楽をする楽しさも分かってきました。新しいバンドに入ってからも、いろいろな思いもよらない出来事があり、前よりはしっかりしたシナリオが書けそうな予感です。しかし、楽器って、練習が必要なんですよね。キーボードの練習のため、シナリオを書く時間があまり取れなくなってしまいました。これって、本末転倒?


第5回 「街はセリフで溢れてる」著者:白石栄里子

何か話のタネになるモノは……? と、新聞やニュースのチェックは日課としているが、
面白い話というのは意外と足元にあったりするもので……。

先日、西尾市出身のAさんと話していたら、「今度、高校の同級生に会うんですけどね、彼、ニューヨークでスタンダップコメディアンしてるんですよ」と聞き逃せない話をサラリ。
しかもその方、元は社交ダンスの世界チャンピオンを目指して渡米。
「そしたら、あんまりうまい人ばっかいて、『世界一、無理!』って諦めたんだって」
でも、ん? なんでそこからコメディアン? についても色々ドラマはあるようで、大きな挫折の中、なんとなく通ってみたコメディのクラスで思わぬ能力が引き出されたらしい。
小池リオ(Rio Koike)さん、もう二十年以上、アメリカでステージに立つ愛知県出身のスタンダップコメディアン。不覚にも地元にいながら知らなかった。これを機に応援したい。

人物もそうだが、セリフというのも、思わぬ場所で、唸るようなセリフを聞くことがある。ある日、エレベーターに乗っていると、途中で男子学生二人組が乗ってきた。
その一人(学生A)が、壊れたビニール傘を手に、もう一人(学生B)に話しかける。
学生A「な、いらんビニール傘ってどうやって捨てんの?」
学生B「なもん、コンビニの傘立てに差しときゃいんじゃね?」
学生A「   ①   」

そう、この①の部分でA君は何と言ったか?
普通に流れるなら、
学生A「お前なぁ……」と呆れる風の返しか。
が、このA君、
学生A「ま、もともとそっから持ってきたもんだしな」
うぉ~~~、そう来たか。エレベーターを降りた私は、何より先にメモを取った。
倫理上の問題はさておき、B君の返しだけでもそれなりに捻りがあったが、それを受けてのA君、ウケを狙って言ったわけではない分、おそらく実話である分、余計に「おいおい」なのである。

もう一つ。
名古屋の地下鉄名城線に乗っていた。シートの半分くらいが埋まる混み具合。
途中、伸び放題の髪に無精髭、小鍋や雑多な身の回り品を詰め込んだ大きなビニール袋を手にしたオジサンが、私の隣、正確には一人分スペースを空けての隣に座った。

と、このオジサン、座るやいなや、ずうっと、溜息をついている。しかも、深い深い溜息。
「あ~~~~(俯いて)」「あ~~~~(天を仰ぐように)」
この間、私は、このオジサンに視線は送らないものの、耳はくぎ付け。この方の人生の、この車両中に響き渡る溜息の核となるものに思いを巡らす。
と、この方、突然、大声で話し出した。
「人生なんて、人生なんてもんは……」
おお、人生を語ろうとしている。
「人生なんてもんは、ほんっとに……」
その瞬間、言葉が走行音にかき消される。ウ、ウソでしょ! オジサンは今まさに、“人生なんて、本当に○○だ!” の○○を叫んだはずなのだ。
聞き逃した~、この深い深い溜息を総括するような言葉、○○を。

そして、オジサンは次の駅で降りた。あとを追って聞けば良かった。
「さっき、人生は何だと仰いましたか?!」と。
そこで追いかけられないのが書き手としての未熟さか。
いやいや、それを想像と創造で超えるのがシナリオでは?

街はセリフで溢れてる。